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  • 海外留学体験談
  • 2020.01.07

【体験談】超サバイバル!ワーキングホリデー

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超サバイバルワーキングホリデーを満喫中の日奈子さんから、文字通り激動のワーホリ体験談をいただきました。語学学校に通ったのはわずか4週間その間に1回目のファームを見つけ、向かったもののひどい扱いをうけ1週間で挫折。「ファームは二度と嫌だ!」と思っていたものの、オーストラリアで出会った人々との時間がファームへの再挑戦の背中を押し、今では新しく始まったサードワーキングホリデービザ取得に向け、再度ファームを検討しているとか。失敗も成功も、挫折も達成も、溢れんばかりの思い出のつまった1年半を振り返っていただきました。ぜひ読んでみてください。

1.大学卒業後の進路に選んだ「超サバイバルワーホリ」


大学卒業後、私がワーキングホリデーに行こうと決めたのは卒業する約1年前でした。
きっかけは、人生のなかで一度は日本を出て生活してみたかったこと、学生時代から英語は得意科目だったこと、そして就職活動を始めてみたものの、「自分が何をしたいのか?」が見つけられなかったということにあります。こんないい方をすると「逃げている」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、あのまま無理して就活するという選択肢は当時の私にはありませんでした。「御社を志望する理由は…」と、その言葉に続くセリフは全部嘘で、そんなウソは自分につけないとわかっていたからです。

なので、私の場合、大学の最終学年は就活ではなく留活でした(笑)。
ワーキングホリデーにいくために、貯金と英語の勉強を必死でがんばった1年でした。

ワーキングホリデーに関して調べ始めたのは出発の1年より少し前です。
「留学やワーホリをサポートする会社って、こんなにたくさんあるんだーー」と驚いたことを覚えています(笑)。たしか資料請求をしたところ、何社かからご連絡をいただいたのですが、一番いろんなことをお話できたワールドアベニューに決めました。「ワーキングホリデー」は「遊び留学」と呼ばれていること、予算も潤沢というわけにはいかなかったため、語学学校の就学期間を十分に取るのはむずかしかったことなどから、帰国後の就職活動のことを考えるとリスクが高いということもお話もいただきました。ただ、「どんなにサバイバルでも、絶対に後悔しないワーホリにできるよう精いっぱい頑張りたい」と私の決意を伝えると、「わかった!じゃぁ、最小限の予算のなかで最大限結果の残せるワーホリにしよう!その代わり、出発までもワーホリ中も、死ぬ気でがんばらないとだよ!」と、私の予算や性格、目的にそったプランニングをしてくれました。

具体的には、到着してすぐの約1ヵ月間、ホームステイをしつつ、語学学校に通い、携帯や銀行口座など生活に必要な最低限の基盤を整える、そして、その間にセカンドワーホリの要件でもあるファームジョブに携われる農場を見つけ、移動、ファームでお金を稼ぐとともにセカンドワーホリの要件を満たし、シドニーに戻ってくる。その後、ファームで貯めたお金を使って語学学校に通い、そこからワーホリ生活を謳歌する!というものです。

プランを聞き、「厳しそうだけど初期費用を最低限に抑えつつ、自分の努力次第で、いろんな可能性を模索できるのでは?」と思いました。大変さもリスクも重々承知でしたが、できる範囲のなかで最大限挑戦してみたいと思っていた私にはぴったりだと思い、そのプランで決断しました。

– 母への報告

「大学卒業後、オーストラリアにワーホリに行く!」
絶対に驚かれるだろうな…… と思いつつも、悩みぬいて決断したこと。不安もありましたが、思い切って母に報告しました(相談ではありません(笑))。案の定、最初は「は!?」とかなり動揺していたことを覚えています。
私からの報告を受けた後、母も母なりにいろいろと調べてくれました。調べていくなかで、母の知人にも留学経験者がいたこともあり、いろんな情報を踏まえ、最終的には私の想いを理解して応援してくれるようになりました。

「お姉ちゃんも東京だし、あなたはオーストラリア、大分から見たらそんなに変わらない。いいんじゃない?」
と、いわれたときは、「それは結構変わるだろ!」という突っ込みと共に、寛容な母に感謝したことを覚えています。

母に啖呵を切ったらもう後戻りはできません。
幸いに、目標として定めた貯蓄額も、TOEICのスコアも期日までに取得することができ、大学も無事卒業、あっという間に出発の日を迎えました。

2.失敗があったからこそ成功もあった!ファームへの挑戦


到着してホームステイと語学学校の日々がスタートしました。
ホストファミリーはアルゼンチン出身の方で、ご飯もおいしく、コミュニケーションも積極的に取ってくれる家族でした。1年半たつ今でも連絡を取りあうとても良い関係です。

語学学校はMIT Institute※というシドニーの中心地に位置する学校でした。
私の入ったクラスは中上級クラスで、入学したばかりのときは、クラスのレベルについていくのにいっぱいいっぱいだったことを覚えています。最初は色んな意味で自信がなかったり友だちもいなかったりということも影響していたのかもしれません。最初の1週間は、そのクラスのなかでリーダーシップをとる存在だった日本人の子に頼りっぱなしでした。ただ、その子があっという間に一つ上のクラスに上がることになりました。すると不思議で、その子を見ていたからか、「自分がクラスを引っ張らないと!」と思うようになりました。

※MIT Instituteってどんな語学学校?
語学学校情報 MIT INSTITUTE(エム・アイ・ティー インスティテュート)をチェック

ただ、到着して1ヵ月なんて、本当にあっという間です(苦笑)。
勉強の傍ら、予定してたファームを見つけるべく奮闘。フルーツピッキングはあまりいい評判を聞かなかったこと、また、動物、なかでも馬が好きだったこともあり、馬関連の仕事を一生懸命探しました。すると「未経験でも歓迎」「1週間100ドル 家賃・食費込み」という求人を見つけました。
その瞬間は「これだ!!」と思い、即決。行ってみることにしました。

ただ、ここが本当に最悪でした(苦笑)。

家族経営のファームだったのですが、ご両親と男女の兄妹、そこにスイス人とフランス人の働き手がそれぞれ1名ずつという構成でした。仕事の分担としては、私とフランス人のことで羊の毛刈り…ではなく、毛刈り後のこぼれ毛の掃除、馬の担当はお兄さんとスイス人という振り分けでした。実際に働きだしてみると、やる気のない、フランス人とスイス人に対しオーナーである両親はイライラしており、両者の関係はかなり険悪な雰囲気でした。そして気が付けば、私が到着した1週間後には二人は忽然と姿を消します。急に人出が少なくなったからか、土日休みといわれていたにも関わらず、土曜日に「練習」という名目で、無給で一日中馬糞の掃除をさせられる始末…… 。生活環境も、家畜のような扱いで、なんのためにワーホリに来たのかわからなくなってしまった自分がいました。

最初は頑張っていたものの、一人では到底どうにもならない仕事量と劣悪な環境に限界を感じ、1週後にはシドニーに戻る決意をしました。あの瞬間は、「ファームはもう2度と嫌だ」と思ったことを覚えています。

– シドニーに戻り…


逃げるようにシドニーに戻った後は、費用面でも余裕がなくなってきたこともあり、即アルバイト探しをしました。運よく、マッサージ店の受付の仕事が見つかりました。これが日給200ドル程度とよかったため、お金をため、もう一度、語学学校に通うことにしました。マッサージ店の仕事に加え、並行して日本食レストランでの仕事も始めていた私は、日中忙しかったこと、海外生活にもだいぶ慣れてきていたことから、夕方から夜にかけて開講されるイブニングコースと呼ばれるコースに通いました。
比較的まじめ、且つ仕事と並行して学校に通うことの少ない日本人留学生がイブニングコースに通うことはあまりありません。思いがけず国際色豊かな環境で勉強することができました。南米の学生たちが多く、その勢いに最初は圧倒されましたが、気が付けば、出会った学生たちと少しずつ仲良くなっていきました。

友人ができ、英語力も伸びてきて、少しずつ自信をもって行動できるようになってきたとき、気が付けば、ワーホリも半年を過ぎようとしていました。そのとき、やはり、「もっとオーストラリアにいたい!!!」と強く感じるようになりました。「ようやくいろんなことを経験できたり、話せたりするようになってきたとこなのに、これで終わりたくない」と感じたのです。

セカンドワーホリビザを取得するには88日間、季節労働に携わる必要があります。3ヵ月程度だから… とのんびりしていた私に、周囲から、「88日間というのは実労働だから、休みの日などを入れたら、絶対に3ヵ月以上かかるよ!!」といわれ、またもや焦ってファーム探しが始まりました。
そうして気が付けば、あんなに「いやだ!」と思っていたファームのため、クイーンズランドのバンダーバーグに行くことに……(笑) ここでは、前回のファームのような劣悪な環境ではなかったものの、人間関係がうまくいかない部分もあり、最終的には、バンダーバーグで出会った人と共に、タスマニア(ロンセストンから30分程度のところ)にあるイチゴ畑で働くことになりました。

タスマニアは世界でもっともピュアな島と呼ばれ、日本では見ることのない動物たちがたくさん生息、そして人と自然とが共存している場所です。例えば、ファームで働いているとき、イチゴの苗のなかに鳥の巣があったことがありました。日本だったら作業の邪魔ですし、取り除いてしまうと思います。でも、そうはなりませんでした。共存するために、どうすべきか?を常に考える姿勢や考え方にはとても感動しました。

タスマニアでは、英語力を伸ばしたかったこと、できる限り自分と異なる文化や習慣、考え方の人々と共に過ごしたかったことなどから、日本人以外の人たちとのコミュニティを広げ、誕生日パーティーを開いたり、一緒に働いている人とバックパックしたりしました。

結果、本来であれば、3ヵ月、休みなどをいれても4ヵ月程度でよかったファームなのですが、タスマニアでの生活が楽しすぎて、気が付けば6カ月もの時間が経過していました。

3.自分は自分、他人(ひと)はひと 自分らしくあることの大切さを知る


私のワーキングホリデーには、出会いと成長、そして新たな気づきが詰まっています。
悲惨だった初回のファームからシドニーに戻ったときに出会ったブラジルやコロンビア出身の友人たち、語学学校で熱心に教えてくれた先生方とのつながり、タスマニアで出会ったさまざまな考え方を持つ人々……。共にした時間は本当にわずかなのに、まるで家族や昔からの友人だったかのように、気を許すことができ、お腹を抱えて笑いあう、そんな出会いがあふれているなんて、オーストラリアに来る前は想像していませんでした。

価値観の異なるさまざまな人々と出会うことで、ようやく、「自分はこれでいいんだ」と思えるようになりました。周囲と意見や考えが違うこと、間違うこと、初めてでうまくいかないこと、そういうことに臆することがなくなりました。むしろ、臆してはいけない、思考停止してはいけないと考えるようになりました。具体的な言葉にできなくても、自分が感じていることは確かで、それらをないがしろにしてはいけないと思いました。周囲に流されず、「自分」をもって生きている友人たちと出会い、そう思うことができるようになったんです。

4.少し遠回りしたけど見えてきた「やりたいこと」


タスマニアのファーム中、ベジタリアンやビーガンの人たちとの出会いが多くありました。言葉は知っていても、実際に日本で出会うことは少なったこともあり、彼らの意見をあらためて聞く機会は貴重でした。一言にビーガン、ベジタリアンといっても、その動機や理由はさまざまです。ただ、私にとってはどの意見も思いも、とても刺激的でした。


↑オーストラリアの星空

自然や、生き物、地球、そういったものが大好きで大切で、それらを守るために何かできることはないかと考えるようになったんです。少し大げさな表現かもしれませんが、「未来をよくする何か」に携わりたい…… そう感じています。
キーワードとしては「オーガニック」や「フード」「再生可能エネルギー」、「新エネルギー」などです。どちらかというと、会社に属して…というより、小さくてもいいので、自分主体でできる「何か」を見つけていきたいです。

もう少し時間や経験が必要だな…… と感じている今は、再度タスマニアに戻り、新しくできたワーホリのサードビザ※取得のためファームを再開することを検討中です。

※3年目のワーキングホリデーってなに?と思ったら…
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5.今後の目標とこれからワーホリする人へのメッセージ


オーストラリアにきて、小さなことから大きなことまでさまざまな失敗と成功を積み重ね、少しずつ自分に自信を持てるようになってきました。些細なことかもしれませんが、カフェやレストランに1人で入ることもできますし、注文するときに変な緊張をしなくなりました。1人暮らしはもちろん、英語でのコミュニケーションにも臆することはなくなりました。タスマニアで生活していたときは仕事場の農場まで、自動車通勤だったのですが、道があまり整備されていないことなどもあり、パンクを3回も経験。タイヤ交換も一人でできるようになりました(笑)。

やろうと思えば、人間、なんでもできます。
生き方や在り方に、正解も間違いもありません。自分の意見や思いが少数派だからといって、諦めないといけないこともないんです。自分がどうしたいのか。どう生きたいのか。人生1度きりです。真剣に考え、他の誰でもない、自分にとってベストな決断をしてください。

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