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  • 海外留学体験談
  • 2018.02.05

『英語』をより柔軟に捉えることができるようになったアメリカでの語学留学|体験談‐奥田 匡哉さん

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「『英語』をより柔軟に捉えることができるようになった」と、意味深な一言から始まった奥田 匡哉さんのアメリカ留学体験談。サンフランシスコを中心に、タイプの違う語学学校2ヶ所に通い、世界中の人たちとさまざま交流や、アメリカならではのちょっぴり危険な経験、憧れていたアメリカでの生活体験を存分にお話いただきました。

1.このままでは終われない!と決断した留学・再渡航


もともと、海外での生活、映画や音楽、スポーツなど、アメリカを中心とした海外の文化に憧れと興味関心がありました。「留学してみたい」という気持も大学生になる前からあり、高校生のときに3週間、オーストラリアに留学しました。

初めての留学は、到着してすぐの3日間、一緒に留学した日本の学生たちと宿泊、その後4日目からは1人ひとりホームステイ先に移動しました。初めての親元を離れての生活、しかも海外での生活はとても刺激的で、わからないことや困ることも多いものの、今までにない経験になりました。

ただ、とても悔しいこともありました。それが「英語」でのコミュニケーションです。
英語は好きな科目だったこともありまったく自信がなかったわけではありませでした。しかし、ネイティブとの会話となると、全く話せず、想像していたようなコミュニケーションを取ることはできませんでした。

そんな悔しさを頭の片隅に残したまま、大学生になりました。

大学生活は留学とはまた違った意味で楽しく、刺激的で、あっという間に時間が過ぎていきました。
ただ、大学生活のなかでも、高校生の時に感じた英語力へのつっかかりは、やはり感じることがありました。例えば、アルバイトのなかで……などです。私は、上野の飲食店でアルバイトしていました。外国人のお客様に対応する機会も多く、英語でコミュニケーションが取れたときの嬉しさと共に、満足にコミュニケーションをとることのできなかった際のふがいなさと危機感、そして、きちんとコミュニケーションをとることのできない怖さを感じるようになりました。

例えば、宗教上「豚肉」が食べれない方に、コミュニケーションミスで、「豚肉」を提供してしまったり、「卵」にアレルギーを持っている方に、「卵」の入っている料理を提供してしまったり…… 。
お店や自分自身への損害、お店を訪れてくださったお客様の心身の健康に対する悪影響を及ぼす可能性、リスクを考えるたびに、頭の片隅に残していたつっかかりがチクチクと痛みました。

そこで、「このまま大学生活を終えたくない」と留学・再渡航を決意しました。

大学を休学して留学することに、大きな抵抗はありませんでした。
理由は、幸いなことに、私が通っている大学では休学して留学する学生が多かったこと、また、両親が「やりたいことはやれ」と背中を押してくれていたことにあります。周囲の環境や理解のある人々に囲まれていたおかげで、自分自身、「価値のある1年にできるのであれば何もマイナスになることなどない」と、考えることができました。

2.重要なことは「文法」や「発音」じゃないと感じた英語でのコミュニケーション


留学先は、好きだった音楽や映画、スポーツなどの影響もあり、アメリカを、なかでも、特に将来の仕事として、映画の配給なども視野にあったことから、カリフォルニア州サンフランシスコへの語学留学を決断しました。

約1年間の留学準備期間を経ての留学。早めはやめに動きだしたこともあり、留学手続きもバタつくことなく、余裕をもって行うことができ、留学前にはあまり大きな不安はありませんでした。

もちろん、実際に留学してみると、大変なことは山ほどありました(笑)。
アメリカに到着して最初の土日、ひとまずダウンタウンに行ってみようと考え、ホームステイ先の方にダウンタウンへの行き方や費用(バス代)を聞き、街にくりだしました。

ここで、早くも事件発生です(笑)
バス代は2.25ドルだよ、と聞いていたものの、切符の購入方法がわからず、「下りるときにでも支払えばいいかな……」くらいの軽い気持ちでひとまずバスに乗りました。すると、不運にも抜き打ちのポリスチェックが入ったのです。警察官は私が切符を事前購入していないことに対して、170ドル(日本円で約2万円)の罰金を支払うように命じました。私は、その日アメリカに到着したばかりで、切符の購入方法がわからなかったこと、きちんと支払いをする意思があったことなどを必死に伝えましたが、もはやアフターカーニバル……(苦笑)。きっちりと罰金を支払わされてしまいました。

その後、気を取り直して、スーパーで日用品を購入したり、ダウンタウンを散策したりしました。
アメリカには、本当にさまざまなバックグラウンドの人がたくさん暮らしています。スーパーのレジの人やその他の従業員の方にも、本当にさまざまな国の方がいて、英語もさまざま。アメリカで暮らし、生計を立てている人々なのにも関わらず、彼らのなかには、私でも気が付くレベルの文法ミスがあったり、発音も決して「キレイ」と感じるものばかりではなかったりしました。

ただ、まだまだまったくと言っていいほど英語が喋れない状態だったにも関わらず、警察官に必死に自分の意思を伝えようとした経験や(結局罰金は支払いましたが…)、ダウンタウンを散策する中で出会った人々とのコミュニケーションのなかで、「100%正しい英語」が重要なのではなく、英語というコミュニケーションツールを用いて「理解し合えること」が重要なのだ……と、英語に対する視野が少し広がった気がしました。

これは最終的な話ですが、警察官とのケンカから始まったアメリカでの生活は、コミュニケーションツールとしての英語を教えてくれたように思います。英語力習得を目的とした留学だったにも関わらず、気が付けば、英文法や発音を気にしてコミュニケーションを取ることなんてほとんどなくなっていたように思うからです。(とてもいい意味で)

語学学校がスタート


語学学校初日は、学校生活に関するオリエンテーションとクラス(英語レベル)分けを行うためのレベルチェックテストから始まりました。私は中級クラスからスタートでした。私が入ったクラスを含め、中下級のクラスは日本人を含む、アジア人が多め、上のレベルのクラスに行けばいくほどアジア人は少なくなる印象でした。
最初の中級クラスは、1クラス10~13人で日本人が4人、韓国人が4人、残り6割の生徒が中南米など他の国からの留学生でした。

最初のクラスの先生はとても丁寧で、英語も聞き取りやすく、リスニングにはそこまで大きな問題はなかったものの、スピーキングの授業自体は大学1年生ぶりで、思うように口は動かず、最初は苦労しました。ただ「英語を発する」ことに少しずつ慣れることで、授業についていくことはできました。

アメリカの語学学校で勉強するなかで、改めて感じたことは、「自分の考え」を発する機会が多いということです。例えば、音楽について、文化について、経済について…… トピックはさまざまですが、「日本ではどう?」と、日本のこと、私自身のことをよく聞かれました。
他の国の留学生たちは、物事に対する自分の意見や考え方をしっかりと持っているし、自国のことを良く知っていて、英文法や発音が間違うことはあるものの、「発信する」ということがとてもできているように思いました。対して、私は、自分の国のことなのに、日本について、日本の経済や政治、音楽や文化、歴史について、知らなくて答えられない……ということも多々あり、ときどき情けない気持ちになることもありました。しかし、知らないことがたくさんあるという事実に気が付いてからは、私も他の留学生を学び積極的に発信するようになっていきました。

3.とにかくもっと喋れるようになりたいと臨んだ超少人数制クラス


アメリカに留学した当初、私はEmbassy Englishという語学学校に通っていました。
先述したように、最初は学校の先生方のクオリティも高く、体制もきちんと整っていました。ただ、通い始めて半年すぎるくらいの時期、学校の運営側と教師陣が度々衝突していることが増え、学校の雰囲気が悪くなっていくのを感じました。退職する教師も増え、教師陣の質も少しずつ落ちていくような感覚がありました。教師の数が少なくなれば開講できるクラス数も少なくなります。最初は1クラス10人~15人程度だったクラス人数が、最終的には1クラス20名にも膨れ上がっていました。
先生対生徒の割合が高くなれば、当然1人ひとりの生徒へのケアは雑になります。。

実は、語学留学の最後数ヶ月を利用して、Embassy EnglishにあったEnglish in Actionというインターンシップ経験を積むことのできるプログラムの受講を考えていました。しかし該当プログラムの利用者の声を聞くと、一部の企業とはコネクションがあるため、インターンできている様子でしたが、他の業種・職種になると、インターン先のリサーチもきちんと対応してくれない……といいます。

悩んだ末、インターンができずズルズルと今の状態のEmbassy Englishにいるのであれば、とにかく喋れるようになることを意識して、もう少し少人数制で、スピーキングに特化した語学学校に転校してもいいのではないか…と考えるようになりました。

この頃、私と同じように考えたのか、他国の留学生でもEmbassy Englishから他校に転校する学生が多くいました。私より先に転校した学生には、私と同じような目的(スピーキング力強化)で転校している方もいたため、現地で情報収集し、学校見学などを重ね、転校先の学校を決めました。最終的にはワールドアベニューにも相談し、Embassy Englishをキャンセルし、転校しました。

転校した先の語学学校は、全校生徒数20名前後のものすごい小規模な語学学校でした。学生総数が少ないのでレベルは3段階にしか分かれておらず、英語コースの種類も一般英語かビジネス英語コースのみでした。しかし、人数が少ないからこそ、名目は一般英語コースでも、実際の内容は、生徒1人ひとりの要望に合わせたクラスを開講してくれていました。例えば、カンバセーションを中心としたクラス、TOEIC対策、TOEFL対策を中心としたクラスなどです。

私は、1クラス5人というものすごい少人数なクラスサイズのなかで、1限目:カンバセーション、2限目:文法、3限目:ライティングという流れで勉強しました。私がとにかく喋れるようになりたいということを伝えると、2限目の文法と3限目のライティングも、「話す」時のことを意識して授業が行われ、1限目のカンバセーションでは、私が苦手としていた前置詞や代名詞、時制などを中心に教えてくれたり、単語や表現の細かなニュアンス、よりネイティブらしい自然な表現、時にはサンフランシスコ英語(サンフランシスコなまり)を教えてくれたりもしました。

先生も、見た目はちょっとクレイジーな印象の方ではあったのですが(笑)、私にとっては本当に最高の先生でした。

4.ショックも、驚きも危険も、すべてひっくるめて経験


アメリカ留学する上で気になるのは「治安」の良し悪しだと思います。
私は幸い、危険な目にあうことは最終的にありませんでしたが、なかには自動車事故(ひき逃げ)にあい、入院していた友人もいましたし、私自身、拳銃を握りしめた人と2人きりで同じエレベーターに乗り合わせたこともありました。街中や公園などではマフィアやギャングの抗争の様子が連日ニュースで報道され、バーに飲みに行けば、ドラッグを使用している姿も頻繁に垣間見ました。金品のひったくりも多く、荷物の管理には気が抜けません。

生活の場はシェアハウスでした。
私はあまり生活の場所に拘りがなかったので、環境としてはけっしておすすめしませんが、月に650ドル(約7万円)のシェアハウスに暮らしていました。州の公共住宅のような場所で、トイレとお風呂は共同で、1部屋に二段ベッドが2つ並び、4人一部屋で生活でした。ニューヨーク出身のアメリカ人とインド人、出稼ぎに来ているフィリピン人と一緒に生活し、建物の中にはホームレスの人で保護されているような人もいたように思います。
正直に言って、女の子にはあまりお勧めできないようなシーンも多く経験しました。

ただ、そんななかで学ぶこともたくさんありました。
例えば、友人が交通事故(ひき逃げ)にあったときのことです。日本であれば交通事故時、しかもひき逃げなんかになれば必ず警察が介入してくると思います。ひき逃げでなくても警察が介入し、事情聴取などを行ってくれるでしょう。保険会社に依頼すれば相手方または相手の保険会社との示談交渉などもすべて行ってくれます。
しかし、アメリカでは違います。ひき逃げなのにも関わらず、警察は介入してこないし、保険会社や相手方との交渉なども基本的にはすべて自分で行わなければなりません。事故にあえば、自分ですべて状況を抑え写真を取り、相手との交渉など必要であればすべて録音します。
事故だとしてもすべてが自己責任で誰も助けてなどくれません。アメリカ人にとってはそれが当たり前で、子供のころからそう教わって生きています。何から何までやってくれているのに、「待たされている」とクレームをつけたり、店員の態度が悪かったからと悪態をついたりしているような日本人は、なんだかとても甘やかされているように感じました。

思い切り堪能したアメリカでの留学生活

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素晴らしいこともたくさんありました。
語学学校を中心としたアメリカでの生活のなか、世界中の友達ができました。
特に仲がよかったのはドイツ人とブラジル人、そして韓国人。その他にも、台湾人やコロンビア人、フランス人、スロバキア人、イタリア人、サウジアラビア人などなど、日本にいたら出会えない人々と出会いました。

アメリカの食事は美味しくないと言いますが、私は、今ここ(留学生活のなか)で、食べられるものを食べたかたし、あまり日本食を恋しく思うこともありませんでした。イギリスに留学していた友人からは、「日本食が恋しくなるから日本食を持参した方がいい」とアドバイスをもらい、インスタントのお茶を持参しましたが、結局飲まず、学校の友人に配ってしまったほどです(笑)。

エンターテイメント感満載のバスケやサッカー、野球などアメリカを代表するスポーツの観戦は本当に感動しましたし、サンディエゴやロサンゼルス、ラスベガス、ニューヨークやナパバレーなどの旅行も最高でした。

世界中の人々とアメリカというものすごいダイバーシティな国で、アメリカのこと、日本のこと、世界中のことを話ました。テロに対する考え方や、政治・経済に対する意見交換、ポジティブなこともネガティブなこともとにかくたくさん話ました。ときには日本を外から客観的にのぞき込み、自分が日本人であることを強く意識させられるなんてこともありました。

出来事としてポジティブなこと、ネガティブなこと、いろいろありましが、すべての経験を楽しむことができたし、憧れだけではない差別や責任、自由、さまざまな多様性に富んだアメリカを知ることができ、本当に充実した留学だったと感じています。

5.最後に‐メッセージ「目的・目標を持つことで行動が変わる」


留学するときに目標・目的を持つと、留学期間中の行動が変わり、より充実した時間になると思います。
私が2ヶ所目の語学学校に通った際、「とにかく喋れるようになりたい」と伝えると、文法の学習もライティングの学習もすべてがスピーキング力強化を意識した内容にかわり、これらは漠然と英語を学んでいた半年間よりも、密度濃く、且つ効率よく私のスピーキング力を伸ばしてくれたように思います。

このように目的・目標を持つと行動の中身が変わり、同じ時間を過ごしてもより充実度の高い時間を過ごせるのではないかと感じています。したがって、これから留学される皆さんには、ぜひ何か目標・目的をお持ちいただくとよいのではないかと思います。

私は、今回の留学を経て、まずはTOEIC900点オーバー取得!そして、留学経験を含む今までの経験を踏まえ、出版やエンタメ、映画、音楽など、世界と繋がれる業界で働くことができるよう就職活動を頑張っていこうと考えています。

皆さんも頑張ってくださいね!

御名前:奥田 匡哉様
留学期間:2017年02月から2017年12月
留学先:アメリカ サンフランシスコ
留学プログラム:語学留学

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