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■書籍名:
グローバル社会で生き抜ける子どもに育てる方法
■著者:松久保朱美

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  • 海外留学体験談
  • 2017.08.24

努力次第でどんな道も切り開けると感じた専門留学|体験談-上村 有希さん

留学前「学生時代は柔道のことばっかりで、英語の勉強なんて全然していなかったから…」と、英語力や英語学習に関して不安を感じていらっしゃった有希さん。渡航して7ヵ月、気が付けばシドニー大学でネイティブの学生や子供たちに柔道を教え、ローカルのフィジオセラピーのクリニックで働き、通っている教育機関からはInternational Students Awardへの推薦のお話をいただくまでになっていました。

「努力次第でどんな道も切り開ける」

有希さんの体験談インタビューからは、言葉にはしなくても、その言葉の「結果」が溢れていました。

条件付き専門留学とは


「条件付き専門留学」とは、高等教育機関(カレッジ、専門学校、大学など)が定める条件付きで高等教育機関への入学許可を経て留学するプログラムです。一般的には「専門留学」と呼びます。

有希さんが参加されている留学はこの「専門留学」です。
有希さんは、パーソナルトレーナーの資格を取得するため、オーストラリアのTAFE(テイフ)と呼ばれる州立の高等教育機関でフィットネスを学んでいらっしゃいます。

TAFEの専門コースが定める「条件」とは、英語力です。
TAFEでフィットネスを学ぼうと思うと、IELTS5.5から6.0相当の英語力が必要になります。留学前に規定の英語力を満たせていない場合、TAFEが指定する英語力判断テストを受けていただきます。英語テストの結果をもとにTAFEの専門コースに入学するうえで必要な英語研修期間が算出されます。この算出された期間、英語研修を行い英語力の規定をクリアするという条件が課せられます。この条件を満たすことを前提にTAFEの専門コースから入学許可を得て留学するのが条件付き専門留学です。

有希さんの場合、算出された英語研修期間は25週間でした。
2016年12月にご出発され、約半年間の語学研修期間を経て、2017年7月、無事英語力の規定をクリアし、TAFEの専門コース(Certificate 3 in Fitness)へ入学、12月修了予定となります。

【有希さんの専門留学のスケジュール】

「やるからにはトップに」‐今は亡き父との約束


私の留学の目的は英語力の向上や海外でフィットネスを学ぶことではありません。英語力も海外でのフィットネスの勉強もオーストラリアでの資格も、私にとってすべて通過点であり、本当の目標「やるからにはトップになる」のためのステップです。

オーストラリアの専門留学に参加しようと思ったのは、実際に留学した2016年12月からさかのぼって2年前のことでした。

少し話がさかのぼりますが。。。
私は幼いころから師でもあった父のもと柔道に勤しんできました。
小学校、中学校時代、すべてを柔道にかけてきました。絶対に世界でトップを取る!そんな思いで高校へ進学。高校1年の16歳のときにはプロを目指すと心に決めていました。

しかし、その夢はもろくも崩れ去ります。
試合中、左の首の骨を折るという大きなアクシデントに見舞われたのです。手術は全部で7回、入院期間は4ヵ月間という大きなケガでした。主治医からは、柔道はもちろん、「普通の生活」すら難しいかもしれないと言われるレベルでした。実際、手術を重ねても、一時期は左腕の感覚がまったく戻らず、身体は思うように動かずという状態が続きました。ほんの数ヶ月前まで、頭で考えなくても体が反射的に動いていたのに、何もかもがまったく思うように動かなくなりました。このときのストレスや歯がゆさは、想像を絶する苦痛でした。

退院後も厳しいリハビリ生活がまっていまいた。痛み止めをチューブから体に流し込み、毎日まいにち身体を動かし続けました。血気盛んな年ごろだったので、なぜ自分だけこんな思いをしなければならないのかわからず、思い通りにならないことにイライラし、自暴自棄になったこともありました。
そんな私のリハビリ生活を支えてくれたのが、家族であり、リハビリをサポートしてくれた理学療法士や作業療法士、そして柔道整復師の方々でした。

気持ちは簡単に切り替えられたわけではありませんでした。ただ、支えてくださった人々の姿を見て、また、自分の今までの努力を少しでも何かにつなげていきたいという思いから、選手が無理なら、選手を支える側として生きていこうと決めました。そして、選手としてトップをとることはもうできなくても、新しい道でトップを取ろうと心に誓い、柔道の師でもあった父と約束しました。

柔道整復師として接骨院で働き始めた当初、私の夢は柔道整復師として開業することでした。しかし実際に働く中で、ただ柔道整復師として優秀なだけでは、他との差別化ができないと感じました。
理由は、柔道整復師として優秀な人は他にもたくさんいて、そういった人たちは柔道整復師としてだけではなくプラスアルファの技術や知識を持っている方が多かったからです。
例えば、私が勤めていた接骨院の院長はとても優秀な方で、柔道整復師の資格や技術だけではなく、鍼灸の資格や技術も持っている方でした。院長先生のもと修業の如く仕事をこなしていた私の技術や知識は仕事を始めて1年もたつとぐんぐんと伸び、周囲からも高い評価をいただけるようになりました。院長先生のように鍼灸の資格を取得することも考えました。しかし、誰かの後を追っているだけでは、先人を追い越すことはできない、トップにはなれないと気が付いたんです。

私は、柔道整復師として働くと決めたとき、父と「やるからにはトップになる」と約束をしていました。
このままでは、父との約束を、自分の夢を達成できないと感じたんです。

いろんなことを考えました。その中で出てきたのは、やはり世界でトップを目指す選手をサポートしたいという思いです。日本国内だけではなく、世界を飛び回り、どの国の選手でも必要とあればサポートできる存在になりたいと考えたのです。
そのためには英語が必要でした。先述した通り学生時代は柔道に明け暮れ、「勉強」にはあまり時間を割いてこなかった私にとって、「英語力の習得」は、ある意味柔道で世界を取ること以上に難しい(というよりどうしたらいいのかわからない(笑))ことのように感じました。

やらざるを得ない環境に立たされれば、英語もできるようになるのではないか……
そんな思いから留学を考えるようになりました。

留学を考え始めた当初、私にとって「留学」は、空の上の存在でした。
留学と言えば、もともとものすごく英語ができて、金銭的に余裕のある人しか行けないものだと思っていたんです。
実際は、そんなことはありませんでした。確かにお金もかかるし、努力も必要です。
ただ、きちんと準備をすれば「自分でもできるんだ」と知りました。それが、ワールドアベニューさんとの出会いでした。自分の思いや目標を伝えると、パーソナルトレーナーの資格を取るため、現地の専門学校でフィットネスの勉強ができる留学プログラムがあると教えてくれました。オーストラリアであれば、勉強しながらアルバイトもできるため、アメリカやイギリスよりも留学費用を抑えられることも知り、留学する2年も前に、「専門留学でオーストラリアに行こう」と決めました(笑)。

英語で英語を教わることから躓く


2016年12月、オーストラリアのシドニーへ到着。私の留学生活がスタートしました。
渡航して最初の半年間は、英語力を集中的に伸ばすため、TAFEの附属語学学校に入りました。TAFEの附属語学学校では、ネイティブの英語教師から、英語で英語を学びます。

学校が始まってからの約2ヶ月間は、本当に大変でした。
渡航前、留学が決まってからは留学カウンセラーの方にも英語の教材を教えてもらい、仕事の合間をぬってコツコツ勉強していました。しかし英語は一朝一夕に身に付けられるものではありません。英語研修がスタートして基本的な文法に対する知識やボキャブラリーが圧倒的に足りていない…という事実を突きつけられました(笑)
先生が話していることがまったくわからないんです(笑←当時は笑えませんでした)。

英語での授業は、理解しきれないことも多く、このままでは英語力が伸びない…と焦った私は、こっそりと授業を録音し、毎日、録音した授業内容を聞きながら、ホームステイ先に帰りました。ホームステイ先に帰ると、授業内容で聞き取れなかった部分をホストファミリーに聞いて書いてもらい、一つひとつの文章や単語を調べて訳して理解する…… そんなことを繰り返しました。そんなこんなで3ヵ月目くらいに入ったころ、ようやく、授業内容の理解ができるようになっていきました。
しかし、ようやく慣れたと思ったら次は進学準備コースが待ち受けていました。一難去ってまた一難です。
進学準備コースとはTAFEでフィットネスなど専門的な知識や技術を英語で学ぶに伴い、効率的なノートの取り方やレポート作成の方法、プレゼンテーションの仕方などを学ぶコースです。このコースはある程度英語ができることを前提に、授業が進められていくので、もういっぱいいっぱいでした。

実はこのいっぱいいっぱいのタイミングにさらに追い打ちをかけてきたのが滞在先のトラブルです。
到着して4週間はホームステイで、その後シェアハウスに移り住みました。この移り住んだシェアハウスでトラブルはおきました。
韓国人のオーナーが、支払っていたデポジット(敷金のようなもの)を持ち逃げしたんです。
オーナー不在となったシェア先には翌朝監査が入るため、すぐに移動しなければならないというんです。
そんなことを言われても、当然引っ越す予定のなかった私は次の滞在先も決まっていないし、あてもありません。ただ、移動しなければならないリミットはどんどん近づいてくる… なんともストレスフルな瞬間でした。

なんとか、空いていた次の滞在先を見つけ、飛び込むような形で移動しました。
気に入らなければ、また次を探そう、ひとまずは移動することが最優先だ!と思い移動したシェア先は、日本人0。オーストラリア、カナダ、インド、インドネシア、タイ、中国と私で7~8人が一緒に暮らすお家です。狭いですが週135ドル(週 約12,000円)と家賃はリーズナブル。毎日学校にバイトに、ボランティア活動にと飛び回っているので、家はただ寝に帰るだけの私にとって、十分な生活スペースだったので、しばらくはそこで生活していました。

今は、柔道で知り合ったニュージーランド人の友人宅で居候させてもらっています。実は、友人からの提案で、「家賃も食費もいらないから一緒に住もう!」と言ってくれたのがきっかけです。今ではオーストラリアに来たときよりもお金がたまり、学費の分も確保できました。

行動と努力がすべてを切り開いた


とにかくいろんなことが重なり大変だった渡航数ヶ月間を乗り越え、今は、忙しいながらも本当に充実した生活を送っています。

1週間のスケジュール
月曜日:学校 学校修了後は22時半までバイト
火曜日:OFF 図書館で20時頃まで勉強 ときどきシドニー大学の柔道部で指導
水曜日:OFF 火曜同様図書館で勉強 ときどきシドニー大学の柔道部で指導
木曜日:学校 学校修了後、17時頃までフィジオセラピークリニックでアルバイト その後は20時頃まで図書館で勉強
金曜日:学校 学校修了後は22時半までバイト
土曜日:8時~13時 フィジオセラピークリニックでのアルバイト、その後17時頃までシドニー大学の柔道部で指導
日曜日:柔道を子供たちに教えるボランティア、その後シドニー大学の柔道部で指導

帰宅後も学校の課題や宿題などをこなすため、就寝時間は夜の1時、2時頃。朝も5時半には起きて身支度を整え、7時には学校、予習をして8時半からの授業に臨んでいます。もちろんOFFもあります。特に土曜日のシドニー大学の柔道部で指導した後には、柔道部の子たちが「一緒に飲みに行こう!」と誘ってくれるので、一緒に飲みにいくことも多いです。

オーストラリアは日本人が多いとか、ネイティブとの交流の場が少ないとか、そんな風に言っている方もいますが、私は毎日ほとんどの時間をオーストラリア人としか過ごしていません(笑)。

シドニー大学の柔道部で指導をしたり、地元の子友達に柔道を教えたり、フィジオセラピークリニックでアルバイトをしたりしていることを「ラッキーだね」という方がいます。確かに人に恵まれているという意味ではラッキーもあると思います。ただ、この環境を作り出したのは、運や偶然ではなく、自ら動いて努力した結果の環境だと思っています。

実は、留学当初、ネイティブとのネットワークを築くためにどうしたらいいのか?とワールドアベニューの現地スタッフの方に相談したことがあります。相談したスタッフの方は、オーストラリアのシドニー大学卒の方でした。聞くと、ご自身の学生時代、ローカルのサッカーチームに入り、ネイティブとのネットワークを構築したといいます。英語はまだまだでも柔道なら!と考えた私は、インターネットで、シドニーで柔道ができる環境を探しました。ネット上で一番上に出てきたのが現在参加しているシドニー大学の柔道部でした。どのようにコンタクトを取るべきかなどアドバイスをもらい、自分自身の紹介文を作成し、いざシドニー大学の柔道部に乗り込みました(笑)。

門前払いされるかも…という不安を抱きながら訪問した先には意外にもウェルカムな対応が待っていました。シドニー大学の学生のなかには、柔道のことはもちろん日本の文化や習慣、言語に興味を持っている方も多く、日本での元柔道選手が来ると知った彼らは、とても友好的に私を受入れてくれたんです。
何度か通い指導を行うなかで、キッズコースでも指導してほしいと言われ、今では週末に子供むけのボランティア指導も行っています。

英語で柔道のトレーナーをするのは、もちろん大変で、小学生くらいの子供たちからは教えるたびに‘pardon?’と聞き返されていました(笑)。シドニー大学で教える際には、「今日の指導はわかりやすかったか」「もっとうまい表現はないか」など、都度言い回しをチェックするようになりました。
その甲斐あって、最近は子供たちに聞き返されることも減ったように思います。

出会いが可能性を広げる


フィジオセラピークリニックでのアルバイトも、シドニー大学でのボランティアがきっかけでした。
あるとき、練習中に首を痛めた女性がいました。私が日本で柔道整復師として働いていた経験があることを知っていたコーチは、彼女を診てくれないか、と尋ねたのです。「もちろん」と答え、女性の首の調子を診ていた私の姿を、フィジオセラピーリニックのボスが見ていたんです。このフィジオセラピーリニックのボスは元オリンピック選手で、私が女性の首を診ている姿や日本での経験、柔道整復師としての資格などを踏まえ、自分が開業しているリニックで働かないかと声をかけてくれたのです。
フィジオセラピーリニックでのアルバイト時給は約3,000円。経験という意味でも生活費を賄うという意味でも非常に助かっています。

他にも、私の留学はいろんな方に支えてもらっています。
例えば、シェア先からバイト先、大学、TAFEなどをひたすら徒歩で行き来する私をみて、友達がスクーターや自転車を譲ってくれました。シドニー大学の柔道仲間と飲みに行くときは必ず誰かがおごってくれます(笑)。

TAFEからはInternational Students Awardに推薦いただいたり、フィジオセラピークリニックのボスからはこのまま就職しないかというお話をいただいたり。柔道の方でもインターナショナルチャンピオンシップに代表として出てほしい!なんてお声がけをいただきました。

一つ一つのことを愚直にこなしてきた結果、最初は小さかった出会いが、今、どんどんと広がっていっています。

これからの目標


今後の目標としては、今受講しているCertificate 3 in Fitnessが修了したら、次のステージCertificate 4の資格に進みたいと考えています。パーソナルトレーナーの資格を取得したら、いったん日本に帰国しワーキングホリデービザを取得、オーストラリアで働く経験を積みたいと思います。

私の父は私が渡航して2週目に他界しました。癌でした。
渡航する4月前に見つかった癌はすでにステージ4で、手の付けられない状況になっていました。
渡航を躊躇した瞬間もありました。
でも、「ちゃんと有希を見送るから」「自分が死んでも帰ってくるな」という父の言葉に背中を押され、一歩踏み出すことができました。

父は自分が残した言葉通り、私が旅立って2週目に静かに息を引き取りました。
最期のときには滞在していたホームステイの家族は本当の家族のように温かく支えてくれました。
日本の方には無理を言って、テレビ電話で父にお別れをさせてもらい、親戚にも挨拶することができたので、後悔はありません。

父との約束は今も強く心に残っていて、今の私の大きな支えになっています。
父と同じように、私も有限実行で、たてた目標を一つ一つ着実にこなしていきたいです。

これから留学する方へのメッセージ


留学は大きな決断だと思います。
学校や仕事を辞めたり休んだりして、大きなお金をかけて踏み出すものです。それだけのことをして、何を得たいのか、その経験をどう活かしていきたいのか、真剣に考え踏みだすことをお勧めします。
残念ながらせっかくオーストラリアに来ているのに、日本人同士で集まって、英語が伸びないことや物事がうまくいかないことを環境のせいにしてしまっている人もいます。ただ、きちんと覚悟を決めてきた方、強い気持ちを持っている方は、甘えそうになっても、一歩引いて第三者として自分を見つめ、本当にしなくてはならないことを見極められると思います。

その留学が本当に意味のある経験になるかどうかは、自分次第だと思います。
学校でのネットワーク以外にも、趣味や興味のあることをきっかけに自分の足で世界を広げていくことをお勧めします。そこには言葉が通じなくても、人に伝わる思いがたくさんあり、結果、英語力を伸ばすことができたり、自分自身の価値観や考え方を広げてくれたりする機会に繋がるはずです。

お名前:上村 有希様
留学期間:2016年12月から現在
留学プログラム:専門留学
留学国・都市:オーストラリア シドニー

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