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  • 海外留学体験談
  • 2020.01.22

【体験談】人生を豊かにしてくれたオーストラリアでの語学留学

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日本の大学2年生、前期を休学し、オーストラリアのシドニーに約半年間留学された桃佳さんの体験談です。きっかけは中高生時代の海外経験と、海外の大学に進学することを決めた同級生の存在だったといいます。将来的には、オーストラリアの大学、または大学院への進学も検討するまでに至ったという桃佳さんの留学はどんなものだったのでしょうか。ぜひ読んでみてください。

オーストラリアでの留学生活

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1.留学しようと思ったきっかけ


留学しようと思ったきっかけは2回の海外経験と高校時代の友人か海外の大学に進学したという衝撃の事実にありました。

中学生まで英語は大の苦手科目で、正直、英語を学ぶことに対して必要性も感じていませんでした。「日本人だし、日本にいるし…… 英語を学ぶ必要ってあるの?」そんなふうに思っていました(笑)

そんな私に留学を意識させる1回目の出来事が起こります。それが中学校の卒業旅行でした。中学校の卒業旅行はニュージーランドでのホームステイで、当時、英語はほとんどわからない状態でした。まったく英語を話すことのできない私に対し、ホストファミリーはとても寛容でした。例えば、子供用のボード(おもちゃ)を利用して一つひとつ言葉をさしながらコミュニケーションを取ろうとしてくれたり、自分のことや日本のことなど、私が分かっている、知っているであろうことを間違っていてもいいから文字で文章に起こしてごらんといっていろんなことを知ろうとしてくれたりしました。

言葉はもちろんのこと、文化や習慣の違いにもとても刺激をうけました。
なかでも、女性の社会進出率が高く、男性も女性も、自らのキャリアがしっかりとあるにも関わらず、人生の軸に「家族」があることにはとても感動しました。例えば、忙しくても、ご飯は家族みんなでとったり、休みには家族で旅行を楽しんだり、日々の子供の送り迎えなど、家族と時間をきちんと共有する……。あたりまえのことのようですが、「家族だから」「わかってくれるから」と甘えず「大切にする」姿勢や考え方、実際の行動には、とても共感したことを覚えています。

感動の一方で、ショックもありました。
それは、ホストファミリーが私のことや日本のことを教えてと言ってきたときのことです。「わかる範囲でいいから書いてみて」「単語でもいいから話してみて」といってくれたとき、思いや意見があるのに言葉にできないのではなく、そもそも自分の中に表現するだけの考えや意見が足らないことに気が付いたのです。

自分のこと、自分の生まれ育った国のことなのに、こんなにも表現することが見当たらない自分にはショックをうけました。

2回目の海外経験は高校のときにやってきました。こちらも就学旅行でした。
場所はアメリカのハワイです。ホームステイするかホテル滞在するかを選ぶことができました。私は、ニュージーランドでの経験からリベンジの意味もあって、ホームステイを選びました。
ニュージーランドでの経験をもとに、ホストファミリーとの会話をいろいろと準備していきました。その甲斐あってニュージーランドのときと比べると、だいぶコミュニケーションをとることができました。

「やればできる!」

そう強く感じさせてくれた経験は、私の自信につながりました。
そして、これらの経験を得るに際し、「ツール」となった「英語」に、強い興味を持つようになります。英語を用いることで、「違い」も理解しあうことができ、可能性や選択肢、世界が広がるということに気が付いたのです。この経験が私のその後の選択を大きく変えることになります。

– 進路を急遽変更!臨床工学士を目指す医療福祉工学科からコミュニケーション系の学部へ!

私は当時、東海大学付属高校に通う学生で、以前から臨床工学士を目指す医療福祉工学科への進学を目指していました。人気のある学部、且つ倍率も高いことから、付属校に通う生徒といえど、成績上位者しか入学できない学部でした。なんとか成績条件もクリアし、無事希望の学部に入学が決まっていた高校3年卒業直前、「やっぱり『コミュニケーション』を学びたい」と文転することを決意、周囲の驚きと反対を押し切り、進路変更しました。

将来の目標も大きく変更。
臨床工学士からキャビンアテンダントを目指す!
大学在学中、長期の留学にも挑戦する!
と、中学生のころの自分にはまったく考えも及ばない進路を歩み始めました。

2.留学会社は友だちから情報収集


留学を検討しはじめたとき、高校時代の同級生が、オーストラリアの大学進学を目指し留学しているという衝撃の事実を知ります。大学の付属校だったこともあり、在校生の大半が付属大学に進学するなか、提携もなにもない、しかも海外の大学に踏み出している人が同い年にいたという事実は、私にとって焦りや憧れ、自分の考えを肯定してくれるような感覚、そしてうらやましさなど複数の気持ちを抱かせました。

共通の友人から連絡先を聞き、オーストラリアの生活環境や学校の感想、利用した留学エージェントについてなど、いろんな話を聞きました。

両親の心配もあり、治安や生活環境、時差の短さなどに対する安心感はオーストラリアを留学先として選ぶうえで大きなポイントになりました。また留学エージェントや語学学校も友人が多数調べたなかで、ワールドアベニューのEnglish Language Company (通称 ELC)がよかったという意見をベースに調べることができたため、無駄な時間と手間をかけず、留学プランを決めることができました。

3.語学学校に通いはじめて……


あっという間に語学学校での生活がスタートしました。
留学当初、「できる限り、日本語は話したくない!」という思いから、とにかく日本人を避けまくりました(笑)。ELCがケンブリッジ英語検定に定評のある学校で、もともとヨーロッパやラテン系の学生が多いという点もあいまって、国際色豊かな友人関係を築くことができたように思います。もちろん、日本人の友だちも「0」ということではありませんでしたが、英語を学ぶことに対し、意識の高い人たちが多く、英語を学ぶうえでとても理想的な環境だったように思います。

留学中、「外国人やネイティブの友だちがなかなかできない……」 と悩んでいる日本人学生がいるとよく耳にします。個人的な意見としては、ちょっとした勇気と、いい意味で“NO”といわないことが、この問題を解決するカギだと思います。例えば、留学してすぐのとき、まだまだ英語はたどたどしい状態でしたが、「放課後飲みにいこう!」「週末、遊びに行こう!」と誘われれば、絶対に“NO”とはいいませんでした。もちろん、「私なんかが一緒にいって大丈夫かな」 「もう少し上手に喋れるようになってからでもいいかな」 「友だちもまだいないしな」など、踏み出すうえで、いろんなネガティブな言い訳が思い浮かんだことも事実です。でも、たった半年の留学です。「一日いちにち、絶対に無駄にしちゃいけない!」そんな思いから、できる限り積極的に、他国の子たちの輪に参戦していきました。

ヨーロッパからの留学生や南米からの留学生たちは、本当によく喋りました。
話す英語の文法や単語、イントネーション、発音は間違いだらけなことも多々ありますが、とにかく話します。彼らのなかにいると、英語力もそうなのですが、勢いに押されてしまい、日本語で話した場合の3分の1も話せていない自分がいました。くやしかったりもどかしかったり、それらの経験が語学学校での日々の勉強へのモチベーションへつながるというよい循環が生まれていたように思います。

– English Language Company について


ELCは先述したようにさまざまな国から留学生が集う学校でした。先生方も多国籍で、オーストラリア人以外にも、イギリス人やアメリカ人の先生がいました。同じ教科書を使っての同じ形式の授業なのにも関わらず、表現やこだわるポイントなどが先生個々人の気質、性格、また出身国によって全く異なるという点にはとても興味がわきました。イギリス英語とアメリカ英語の違いを知ることができた点もよかったことです。他にも「いいな」と思ったのは、アメリカ出身の先生なのに、スコットランド出身の友人(英語教師)をほめたり、スコットランドの英語をリスペクトするような発言があったり、互いの「違い」を拒絶するのではなく、認め合っていた点です。多彩で寛容な英語教育を受けられたことは私にとって非常に貴重な経験になりました。

ELCでは学習面のサポートだけではなく、オーストラリアでの生活面のサポートも行ってくれます。
アルバイト探しなどが代表的な例ですが、履歴書作成の手伝いや添削、面接へのアドバイスがありました。私はアルバイトを見つけるまでに10枚弱の履歴書配り歩きました。オーストラリア、というか、海外では、アルバイトしたいお店に履歴書を持っていき、「自分で面接してください!」というのが一般的です。日本にはない習慣のため、履歴書を配りはじめた当初はかなりしどろもどろな感じでした(笑)。一方、学校で出会ったチリやブラジル出身の学生たちのタフネスには感服したことを覚えています。

勇気を振り絞ってみつけたアルバイト先は焼き肉屋さんでのアルバイトでした。いわゆる「日本食レストラン」と呼ばれるお店ではありますが、オーナーがブラジリアンだったこともあり、業務はすべて英語、ホールでの接客サービスはもちろん、社内コミュニケーションもとても良い勉強になりました。

4.留学中に少しずつ変化していった価値観や考え方


日本の有名な詩に「私と小鳥と鈴と」という、金子みすゞ さんの作品があります。そのなかに出てくる言葉で「みんなちがってみんないい」という表現があります。この表現は世代を問わず有名だと思います。オーストラリアはこの「みんなちがってみんないい」を地で行く国だなと感じています。

例えばシドニーは世界150カ国もの人々が共存する都市だといわれています。もはやオリンピックの参加国数のような数です(笑)。異なる価値観、文化、宗教が混在する世界で、それらがぶつかり合わず共存している世界観はとても独特でユニークで、私にとってとても新鮮でした。

「違い」を否定するのではなく「違い」よって生まれた溝を、どう互いがハッピーに生きていくために解決していけばいいのか?と建設的な意見交換が行われます。日本は単一民族のため、特に今まではなかなかこの感覚が取り入れられることはなく、それがゆえに悲しい事件が起きることもあったと思います。今後、人口減少を受け外国人労働者が増えるなど環境が変わるなかで、オーストラリアから学ぶことも多々あるなと感じました。

5.将来はオーストラリアの大学・大学院へ!?


まだ、大学も2年半残っているし、先のことは分かりません。ただ、帰国を目前に控えた今、将来的にはオーストラリアの大学、ないし大学院へ戻ってきたいと思っています。学部はヘルスケア方面に興味があります。

最初は英語でコミュニケーションとれるようになりたいという思いだけだったところから、気が付けば、今持っている英語力、またはこれからより頑張ることで、自分はどこまで行けるのだろうと、より高見を目指す自分が現れていました。

苦手で仕方なかった英語ができるようになり、世界中の人々とコミュニケーションとれるようになった今、いい意味で世界の狭さに気が付きました。手を伸ばせば届く世界なんだという事実は、「人生自分次第だ!」ということを教えてくれました。

留学経験は、就活にどうこうということではなく、私の人生を本当に豊かにしてくれたように思います。
留学という経験、留学でであった人々、ここで得たスキルが今後私の世界をもっともっと広く、狭くしてくれることが楽しみで仕方ありません。

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