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  • 海外留学体験談
  • 2023.05.20

【体験談】オーストラリアワーキングホリデー – 人生が好転!負の連鎖を断ち切れた

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ワーキングホリデー制度を利用し、オーストラリアに滞在するKanoさんから体験談をいただきました。明るい声で、キラキラと体験談をお話くださったKanoさん。渡航してまだ半年とは思えないほど、多くの経験、出会いに溢れた時間を過ごしていらっしゃいました。20代後半、日本での安定した生活を捨てて海外に踏み出したきっかけや、実際に踏み出して感じていることを赤裸々にお話しいただきました。

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Kanoさんの留学概要

渡航国:オーストラリア
渡航都市:メルボルンCBD → ギズベン→ パース → バッセルトン
留学プログラム:ワーキングホリデー
語学学校:Impact English College
渡航期間:2022年11月 – 2023年11月(予定)

 

ワーキングホリデーのスケジュール

時期 内容
2022年11月 オーストラリア・メルボルンへ出発
2022年11月 – 2023年1月 語学学校(Impact English College)で約2ヶ月間で英語学習
全豪オープンでのアルバイト
2023年2月 – 2023年3月 メルボルンCBDからギズベンに移動
デミペアを経験
2023年4月 – 現在 パースに移動
パース滞在中にロードトリップで訪れたバッセルトンを気に入り移動
現在に至る

ワーホリのきっかけ


20代後半、安定していた仕事を捨て、ワーキングホリデーで海外に挑戦しようと思ったきっかけは、一言でいうと「負の連鎖を断ち切りたかった!」に尽きるかなと思います。

私にとって、海外や英語は学生時代から比較的身近なものでした。
祖父母が海外旅行好きで、祖母が70代から英語の勉強を始めたにも関わらずペラペラだったり、兄がアメリカやドイツに留学していたり、小さい頃に英会話を習っていたおかげで、海外や英語に対する抵抗感はありませんでした。

加えて英語が好きだったので、学生時代から英語の成績は悪くありませんでした。なので、いつか喋れるようになりたいという思いはいつの頃からか心のどこかにずっとあったように思います。

憧れの兄の存在とコンプレックス

私と兄は小学校から大学、大学の学部まで同じという、驚くほど似た人生を歩んでいました。ただ兄は大学在学中、交換留学でアメリカに、さらに日本の大学を卒業後、ドイツの大学に進学したのです。当時、母には「あなたも留学したい?」と聞かれたことがありました。しかし、自分が海外で長期生活するイメージが全くわかず、「いや..私は、別に..」と断っていました。こうして、大学半ばから少しずつ兄と道が別れていきました。

兄の留学中、兄を頼ってアメリカやドイツに遊びにいきました。すると(当然ですが)兄が英語をものすごく流暢に話しているではありませんか..!今まで自分と同じ学歴で生きてきた兄の変化に、「同じ道を歩んできたはずなのに!?」「同じ遺伝子なのに!?」とものすごい衝撃を受けました。

今思えば、この時点で兄への憧れと同時にちょっとしたコンプレックスを抱いていたのだと思います。

こうして大学生から社会人になるにつれて、英語が好きというポジティブな思いは、満足のいく英語力のない自分へのネガティブな感情に少しずつ変わっていきます。

惨めな思いの連続… 社会人1年目

とはいえ、一人でヨーロッパの兄を尋ね、フラフラと海外旅行を楽しめる程度の英語力はあり、自分の英語力を卑下することは正直ほとんどありませんでした。今思えば兄に助けてもらっていたことも多々あったわけですが、当時は大きな危機感を持つことはなかったのです。

そうして社会人になった1年目、負の連鎖が始まります。

同期も後輩もペラペラ

私は専門商社に営業として就職しました。それなりに大きな会社で、入社当時は「バリバリのキャリアウーマンを目指すんだ!」と息巻いていました。

しかし、ここで立ちはだかったのが「英語」の壁です。
商社なので日々の業務のなかで当然のように英語を使います。突然、「インドに電話してXXの案件について確認しておいて〜」なんてこともあり、入社当初は「間違えたらどうしよう…ビジネス英語なんて話せない…」とかなりビビりながら対応していたことを覚えています(苦笑)

それでも最初はなんとか食らいつこうと、無理やり英語を使いながら業務をこなしていました。ただ、ここで運悪く、ひどいパワハラを経験します。やることなすこと否定され、英語もできず、惨めで情けなくて、とにかく苦しい日々を過ごしました。

「これ以上、ここにいたら再起不能になる.. 」

生きていくことに危機感を感じた私は、ものすごい惨めさを抱えながらもその会社を1年半で退職しました。

派遣から正社員へ – 大手保険会社でOLに

その後、派遣社員として保険会社の事務の仕事をはじめました。「前職のような惨めな思いはしたくない」「自分をちゃんと立て直したい」、そう思い、派遣から契約社員へ、そして正社員へと、なんとかこぎつけました。

雇用形態も収入も安定し、少しほっとしつつ「さぁこれから」というこのタイミングで、パンデミックに突入、さらに、同時に友人たちの第一次結婚ラッシュが訪れました。インスタを覗けば、カルティエとティファニーの婚約指輪祭り.. キラキラとした同世代の友人たちの姿をとにかく羨ましく眺める日々が続きました。一方私の日常といえば淡々と仕事をこなすだけ、新たな出会いはもちろん、友人たちとも会える機会がなくなり、なんの楽しみもない毎日が続きました。

とはいえ、客観的に見れば決して悪い状況ではなかったと思います。
大手企業にOLとして勤め、給与もよく、コロナ禍は確かに退屈でしたが、ここを凌げばまた違う日々があるだろう.. そんなふうに楽観的に考えることもできたかもしれません。

ただ、私はその時の自分が嫌いでした。
仕事に対しても人生に対しても守りに入り、まだ20代なのに早くも挑戦する気持ちが薄れていました。

「このままじゃいけない.. 自分の納得のいく人生は自分で掴み取りにいかないと誰も与えてくれない…流れを変えるのは自分しかいない…」

そう思い、まず「何か将来役立つ趣味を持とう」と動き出した先に、英会話がありました。そして、高いレッスン費を週に2回の英会話に費やすうちに、「このお金をワーホリや留学に使えばもっと効率よく英語力を伸ばせるのでは?」と考えるようになりました。

ワールドアベニューの説明会に参加、翌日に決断

ワーホリについて調べてみると、ちょうどいいタイミングでオーストラリアのワーキングホリデー説明会があることを知りました。それがワールドアベニュー主催の説明会でした。説明会の予約をし、参加方法の説明などを受け、より挑戦したい気持ちが高まりました。

不安がなかったかというと嘘になります。
せっかく頑張ってついた正社員のポジションも、OLにしては十分な給与も、捨てるにはもったいないと思いました。ただ、直近数年間続いていた負の連鎖を断ち切らず、このまま一生を終えるのか.. 5年後、10年後、今を振り返ったとき、「なぜ、あのとき挑戦しなかったのか..」と後悔する方が恐ろしいなと感じ、踏み出すことを決めました。

説明後、ワールドアベニューに連絡し、翌日には契約手続きをし、その半年後の2022年11月、オーストラリアに飛び出しました。

オーストラリアでのワーホリを選んだ理由


学生時代、海外旅行でいろんな国を訪れていました。アメリカやベルギー、チェコやドイツ、オーストラリアやフィリピン.. なかでも感動したのはフィンランドでした。豊かな自然、おしゃれな街並み、スタイリッシュな建物や家具.. 人々も優しく、またいつかこの国を訪れたいと考えていました。

しかし、フィンランドを含め、ヨーロッパ圏で生活するためには最低限英語力が必要です。そこで、まずは英語圏でのワーホリに挑戦することに決めました。残念ながらイギリスは抽選式で、ビザを取得できるかどうかがわかりません。そうすると、都会もあり自然もあり暮らしやすそうなのはオーストラリアかカナダだなと考えました。

オーストラリアは卒業旅行で訪れたことがあり、気候が良く、生活しやすい雰囲気が印象的でした。ワーホリビザもカナダより取得しやすく、さらに利用するかどうかは別として、セカンドやサードと呼ばれ、最長3年間滞在できる可能性もあります。

「よし、国はオーストラリアにしよう!」と決めました。
都市は、正直フィーリングで決めました(笑) シドニーは都会すぎる印象があったので、もう少しコンパクトで、でも公共交通機関も整い、生活がしやすく、仕事もある都市ということで、メルボルンとパースで迷い、最終メルボルンに決めました。

オーストラリアでの生活(学校、仕事、出会い)

語学学校に通った理由

私が語学学校に通おうと決めた理由は大きく2つです。

1つ目は、友達作りの機会を渡航してすぐに得られること
2つ目は、正確な情報を効率よく入手できること です。

最低限の生活には困らない程度の英語力はあったため、語学学校に通うかどうかは少し考えました。ただ、知り合いもいない、土地勘もない、仕事や家の探し方もわからない場所に、一人で乗り込むのは不安がありました。英語をブラッシュアップしたいという思いに加えて、先述したようにコミュニティ作りと情報収集の場として語学学校を活用したという感じです。

ちょうど、母の親友の娘さんが通っている語学学校がメルボルンにあり、それがImpac English Collegeでした。聞くと、学校に対するフィードバックはよく、それならとImpactで決めました。

実際、語学学校に通って本当に良かったと感じています。
まず、卒業後も関係を継続できる友達ができました。もちろん英語力向上を目的にオーストラリアに来ましたが、国籍や言語など関係なく、大切なのは思いやりやパーソナリティだということも学びました。

次に、到着直後にやるべきことが明確で、かつ所属できる場所があったことは思いのほか、大きな安心感がありました。さらに、英語力に関しても効率よくブラッシュアップができたと思います。私が入学したのはUpper Intermediateと言う5段階中上から2番目のクラスでした。2ヶ月間だけの就学だったので、入学したときと卒業したときのレベルに大きな変化はありませんでしたが、それでも語彙力や表現力に広がりがありましたし、来た時と比較するとスムーズに会話ができるようになっていました。

全豪オープン期間中限定のアルバイト


語学学校終了直後に挑戦したのが、全豪オープンの期間限定のアルバイトでした。私はちょっと高級なレストランでの勤務だったのですが、オーストラリア国内はもちろん、世界中から全豪オープンを観戦しに訪れるお客様をもてなす仕事はとても刺激的でした。また、1日9~10時間、2週間連続勤務というハードワークではありましたが、そのおかげで30万円以上稼ぐことができました。

断ち切った負の連鎖


ここでは、商社勤務時代のトラウマを含め、負の連鎖を断ち切ったなと感じています。

レストランの業務には大きく3つのポジションがありました。

1.テーブル担当(担当の卓をもち、オーダーを取る仕事)
2.バーテンダー
3.フードランナー(ひたすら料理の配膳をする仕事)

1や2の業務を担当するには高い英語力が必要でした。世界中から高い英語力をもつスタッフが50人以上勤務しており、残念ながら私は3.のフードランナーのポジションでした。テーブル担当させてもらえない悔しさは感じつつも、周囲のスタッフと比較すると英語力の差は歴然で、文句の言いようがありません。それでも自分ができることを必死に探しながら、一生懸命働きました。その甲斐あって、ある日テーブル担当業務に挑戦させてもらうことができました。ただ、うまくこなすことはできませんでした。

悔しくて悔しくて、商社時代のフラッシュバックもあり、思わず裏方で号泣してしまいました。自分の不甲斐なさや惨めさ、今までの思いが溢れてしまったんです。

そのとき、職場のマネージャーが通りかかり、なんと号泣しているところを見つかってしまいました。「どうしよう..」と思っていると、マネージャーが私を呼びました。

何が起きたのか?と心配するマネージャーに私は正直な自分の思いを話しました。するとマネージャーは「Kano、一生懸命頑張っている自分に対して、そんなふうに思ってはいけない。私たちはKanoが誰よりも一生懸命働いてくれていることを知っている。みんなKanoの働きを見ているし評価しているよ」と言ってくれたのです。

そして、最終的に50-60人いるスタッフのなかで、最も職場に貢献したと思われる2人にだけプレゼントしてもらえる全豪オープン観戦チケットをプレゼントしてもらえました。

その時は、自分の努力をきちんと見てくれていたことの嬉しさと、いろんな思いを抱えながらもなんとかやり遂げたことへの自己肯定感の高まりとで胸がいっぱいになったことを覚えています。

ずっと引きずってきたネガティブな気持ちを断ち切ることのできた瞬間でした。

もっと挑戦しよう!と思えるように


全豪オープンでの経験をきっかけに、気持ちがより前向きになり、もっともっと挑戦しようと思えるようになりました。手始めにメルボルンCBDをでて、より田舎で日本人のいない環境を求め、ギズベンという街に移動しました。

どっぷりとネイティブ環境に浸かりたいと考え、Facebookで仕事を探し、デミペアに挑戦することにしました。デミペアとは、オーストラリア人のお宅でファミリーと一緒に生活をしながら、そのおうちの家事や子供の世話を行うことで、滞在が無料になるという制度です。

私がお世話になった家族は4歳と5歳のお子さんのいるご家族でした。子供達はパワフルで、お世話は大変なこともありましたが、私はこのファミリーが大好きでした。保育園や幼稚園に送り迎えをするなかで、ママ友ができたり、そのママ友のおうちのお子さんのベビーシッターをしたりすることもありました。また空いた時間を利用して、短い期間ではありますが、レストランでの接客やホテルの清掃の仕事にも挑戦しました。

挑戦すればするほど、できることが増え、英語もより流暢になっていくのを日々実感でき、本当に充実した時間を過ごすことができました。

居心地がよくなってきたタイミングで、私はさらなる挑戦をすることにしました。ギズベンはとてもいいところで、ファミリーも素敵な方達だったのですが、ワーホリで滞在できる時間は限られています。メルボルンを出てギズベンでの生活に挑戦したことで自分が成長したことをうけ、環境を変えることで、さらに成長できるのではないかと考えたのです。

そこでもともと行ってみたかったパースに移動しました。そのタイミングで語学学校時代に出会った友達が、同時期にパースに引っ越してくることとなり、一緒にロードトリップをしないか?と連絡をくれました。もちろん、答えはYES!パースから南に下り、バンバリー、バッセルトン、マーガレットリバーを訪れました。どの街もとても魅力的だったのですが、なかでも私はバッセルトンがとても気に入りました。パースから2時間半程度南に下ったところにあり、海岸より1.8kmにわたって延びる、バッセルトン桟橋が有名な都市です。どこまでも続く砂浜、透き通る海、海辺にある可愛らしいカフェなどが魅力的で、今のところ、一番のお気に入りです。

まだ引っ越して数週間ですが、バッセルトンでどんな出会いがあるのか、どんな成長があるのか自分でもとても楽しみです。

Kanoさんのオーストラリア生活の様子

Kanoさん
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今後の目標


私は日本にいたとき、自分は運が悪い..と思っていました。しかし、海外に飛び出してから出会う人もみんなとても魅力的で、シェアハウスや仕事が決まるタイミングもとてもよく、今は、「私ってなんて運のいいやつなんだ!」と思っています(笑) 同時に、全てのご縁や親切に感謝しています。

日本でOLをしていたときには想像もしないほど、充実した日々を過ごしています。毎日新しい出会いや出来事があり、自分が常にアップデートされているような感覚があります。

オーストラリアのワーホリ後は、この波に乗ってもともと興味のあったヨーロッパでのワーホリに挑戦したいと考えています。何ヶ所か渡航先としての候補はすでに自分のなかにあるので、ワーホリ後、気になる国を周遊し、長期滞在する国を決めようと思っています。

さいごに

体験談を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。Kanoさんの体験談はいかがでしたでしょうか。

Kanoさんはワーホリに踏み出す前、「人生でもっとも自分の成長を感じた瞬間っていつだったかな」と振り返ったことがあるそうです。その際、「高校生のとき、部活をしていたときだな」と気がつき、長い人生、もう一度くらい必死になる瞬間があってもいいんじゃないかと思ったそうです。そして渡航してわずか3ヶ月、全豪オープンでのアルバイトを通じ、最も成長した瞬間がアップデートされました。その後も自身の成長をアップデートし続けていらっしゃいます。この先のオーストラリアでの生活も、そしてその後のヨーロッパでの経験も素晴らしい時間にしていただきたいですね。

留学はワーキングホリデー以外にも様々なものがあります。例えば、英語学習に集中することのできる語学留学や永住や移住を目指すことのできる専門留学、他にも大学・大学院留学など、皆さんの目標目的、状況や条件(英語力や学歴、予算など)によって、どんな留学がいいのかは異なります。

留学のプランニングにはぜひワールドアベニューの個別留学カウンセリングをご活用ください。留学カウンセリングは、無料です。初回はオンライン(Zoom)にて所要時間30分程度からご利用いただけます。定休日の木曜をのぞき、土日祝日も営業いたしております。

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