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留学マガジン

■書籍名:
グローバル社会で生き抜ける子どもに育てる方法
■著者:松久保朱美

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  • 海外留学体験談
  • 2018.03.22

パイロットの夢に1歩近づいた!オーストラリアでの高校留学|体験談-倉片 崇凪さん

「毎日ボクシングのリングに立って、メタメタに打ちのめされていたような日々でした」と笑いながら話す倉片 崇凪さん。高校留学する1年前よりもなんだか一回りも二回りも成長したような雰囲気の崇凪さんは、英語力の伸びだけではなく、将来の夢であるパイロットにも大きな1歩を踏み出せたように感じると、オーストラリア タスマニア州での高校留学1年間を振り返ってくださいました。

1.野球部を辞め、将来の目標のために踏み出した高校留学

高校在学中に留学したいと考えたきっかけは、父の一言でした。

中学の頃は、英語もどちらかというと苦手科目で、これだけグローバルと叫ばれている社会なのにも関わらず、英語を勉強することの意義を今一つ理解できずにいました(笑)。
そんな私に、英語の必要性を感じさせる転機が訪れます。それが中学3年でのイタリア旅行の経験です。
海外旅行を機に、「将来、パイロットになりたい」と思うようになったのです。

ただ、高校1年生の時は、英語は苦手なまま、しかも中学の頃から取り組んでいた部活動が忙しく、まさか自分が高校在学中に留学するなんて夢にも思っていませんでした。

そんなとき、父が、ぽろっと「留学してみるか?」と提案してくれたのです。
高校1年生になったばかりの6月でした。
一生懸命取り組んできた野球を辞めて留学すること、1年間、高校を休学することで勉強に遅れがでること、その後の受験、英語力、将来の夢…… 父から提案を受けてからの1ヵ月間、自分自身の将来のことも踏まえ、高校留学について、本当に真剣に考えました。

プロを目指していたわけではなかったものの、ずっと頑張ってきた野球部を辞めるのは、私にとってとても大きな決断でしたし、苦手だった英語の勉強には自信がありませんでした。しかし、将来やりたいと思うことを、「英語力」の面で諦めたくはなかったし、本当にやりたいことのためには、人生どこかで必死になって頑張らないといけない瞬間が来るのだろう…と、そう思うと、両親も背中を押してくれる今、頑張ってみよう、そう思えるようになりました。

続けてきた野球は7月に退部。高校にも留学の意思を伝えました。高校の先生には、「オールイングリッシュの環境に、お前がいくのか!?」と本気で驚かれ(笑)、言われっぱなしは悔しいので、「最低でも英検準2級は取る!」そう決めて、8月からは必死に英語を勉強しました。

実は、この頃すでに留学プランや留学会社を決めていました。
ただ、ここで思いがけないトラブルが起こりました。申込をしていた留学会社の対応があまりによくなかったのです。度重なるガイダンスミスや、その際の対応などに対し、残念ながら、私自身も両親も不信感を抱くようになりました。当時の季節はすでに秋。翌年からの留学を念頭に置いていたため、手続き期間は、残すところ3ヵ月を切る時期に差し掛かっていました。
あまりにも短い手続き期間に、このタイミングで留学会社を変えても大丈夫か……悩んだものの、「1年に渡る留学を任せる留学会社なのだから、不信感を抱いたままお願いすることはできない。」そう考え、あらためて留学会社を探し始めました。そんな時、高校が紹介してくれた留学会社がワールドアベニューでした。

いろいろと相談し、英語力の規定や高校の成績などの条件面、また、留学準備期間を踏まえ、オーストラリアのタスマニア州(ホバート)での高校留学を紹介いただき、2月出発に向けて準備をスタートしました。

2.ワクワクしながらの出発!ホストファミリーも最高!でも…

必死に勉強した甲斐あり、英検準2級に合格!
「やればできる!」と自信が持てたこともあってか、オーストラリアへの出発直前は、不安というより、ワクワクした気持ちの方が大きかったように思います。実際、日本からオーストラリアへのフライトの際には、パイロットの方との写真撮影をお願いしたところ、思いがけずコックピットを見せてもらえるという奇跡が起き、ものすごい興奮状態で、タスマニアの地を踏みました(笑)。

空港到着時は、空港出迎えに来てくれたホストファミリーとスムーズに会うことができず、やや不安な気持ちにもなったものの、ホームステイ先のホストファミリーは皆さんとても素敵な方々で、すぐに安心して生活をスタートすることができました。

学校が始まり、毎日勉強についていくために必死に勉強していたとき、ホストファミリーは、勉強ばかりしている私を心配して、「ONとOFFをしっかり分けて!」「遊びも大切よ」と諭してくれる…なんてこともありました。

ホストファミリーは、インドネシア系のホストマザーと、オーストラリア人のホストファザー、そしてホストブラザーが2人、私を併せて5人家族。ホストマザーもホストファザーも料理上手でした。なかでも印象に残っているのは、ホストファザーが作ってくれた「お好み焼き」です。ホストファザーは小学校の先生で、家庭科の授業でお好み焼きを作るからと、前日に試作品としてお好み焼きを作ってくれました。とっても良くできていて驚いたのを覚えています。他にも、クリスマスなどのイベントにはチキンの丸焼きを食べたり。夕食は基本的に家族団らんを大切にし、隔週の週末にはホームパーティーを開催。日本とはまた違う家族交流があり、とても楽しい時間を過ごすことができました。

文化も習慣も異なるオーストラリアの人々との生活は、人生において何を大切にするのか、何を最優先にするのか、価値観や考え方など、やはり日本とは異なり、ストレスも大なり小なりあったと思います。
ただ、家族に恵まれたこともあり、「帰りたい」と思ったことはありませんでした。

思い切り躓いた英語

全てが順風満帆だったかというと、もちろん、そんなことはありません。
やはり躓いたのは、「英語」です。高校1年生春、留学することを決意し、夏から猛勉強してきたにも関わらず、ホストブラザーとの会話の際には、思っていた以上に、英語を発することができませんでした。後々、落ち着いて考えてみれば、文法や単語は頭に浮かぶものの、実際に「英語を発する」ことができなかったんです。

ホストファミリーとの日常会話でも、そんな感じなので、高校生活における英語面での苦労は、一入でした。
例えば、化学の授業で使う、元素記号。
日本では、水素=H、ヘリウム=Heなどのように覚えていきますよね。元素記号表を見て、「すいへいりーべー…」なんて、語呂合わせのような覚え方もあると思います。オーストラリアでは、日本語で水素が水素なように、Hydrogen(水素)はHydrogenです(笑)。カタカナで聞き覚えのあるHelium(ヘリウム)や、Calcium(カルシウム)、Silver(銀)などはまだいいのですが、Fluorine(フッ素)やArsenic(ヒ素)などはまったくわかりません。他にも、「顕微鏡」や「ナスフラスコ」など、英語でなんといえばいいのか?は、もはやまったく予想もつきませんでした(笑)。

最初は、携帯電話に、Googleの翻訳アプリ(紙を画像で読み込み、翻訳してくれるアプリ)を入れ、なんとか授業に臨んでいました。ただ、翻訳機能を使えば、なんとかなるものの、「アプリに頼りっぱなしではいけない」「でもわからないし……」「どうしたらいいんだろう…… 」そんな葛藤を繰り返しながらも、その都度できることを最大限やっていこう、と、ひとまずは、アプリを最大限活用しながら予習復習を繰り返しつつ、必死で勉強しました。

3.「努力は必ず報われる」と気が付かせてくれた日々の勉強


翻訳アプリに頼りきるボコボコな状態からスタートした私ですが、もともと「英語は苦手」という意識があったため、正直あまりへこむことも腐ることもありませんでした。「英語ができないからこそ、あえて厳しい環境(英語環境)に身を置きたくて、オーストラリアに来たんだ」と認識していたため、「ここからが勝負!」と、歯を食いしばって頑張ることができたんだと思います。

私が受講した科目は、数学、化学、英語(国語)、体育、スポーツサイエンスでした。
まず、かなり苦労したオーストラリアでの国語=英語の授業には、1学期(約10週)の間に3~4回のプレゼンテーションがありました。プレゼンのたびに、プレゼン用のパワーポイントを作成し、プレゼンするための原稿を作り、丸暗記する勢いで、何度も何度も練習しました。正直最初の3~4ヵ月間は、プレゼンの度に、死にそうになっていましたが、この授業のおかげで、翻訳アプリに頼ることはなくなりました。

数学や化学の授業では、頻繁にアカデミックレポートの提出や1週間に一度、アサイメントと呼ばれる課題がありました。特に化学の授業は、先述したように知らない単語も多く、授業を理解すること自体、とても大変で、最初は課題どころではありませんでした。ただ、「わからない」とぼやいていても、わかるようにはなりません。わからないことは、一つひとつ先生に聞き、わからないことを減らしていきました。
アサイメントでは評価「A」を取れるように、ネイティブの学生と同じ目線で勉強できるように、必死で努力しました。

体育やスポーツサイエンスは、大変ながらに、ものすごく楽しめました。
体育では、さまざまなレクリエーションがあり、タスマニア島を観光することもありましたし、ロッククライミングやテニス、サーフィンなど、オーストラリアならではのスポーツも学び、楽しむことができました。

オーストラリアに高校留学してみて、驚いたことは、よくも悪くも、留学生だからという特別扱いはしてくれないということです。留学するときは、なんとなく、物珍しい日本からの転校生ということで、周囲からも特別な目で見られるのではないか、先生たちからもちょっと英語ができなくてもわかってもらえるのではないか、そんな思いを持っていました。

タスマニア州は他州や他都市と比較すると日本人の留学生は少ないと聞きます。(実際、少なかったです)
ただ、だからと言って、留学生や移民が少ないわけではありません。留学生や外国人に慣れているオーストラリアの人々はポジティブにもネガティブにも特別扱いはしません。

そんななかでも、1授業につき1人、頼れる友達ができていきました。
化学の授業などでは、実験の際など、毎回同じ生徒とばかりペアを組んでいると、先生に注意されるので、困ったこともありましたが、私の必死な姿を見ていろいろとヘルプしてくれる友人の存在は、日々の学校生活で大きな支えとなりました。

報われた努力 GETした努力賞!

年の終わり、留学生を対象とした表彰で、最も努力が見られた生徒に与えられる「努力賞」という賞をいただきました。後々聞いた話では、受講していた授業5科目の先生方、すべてから、授業に対して努力する姿勢を、非常に高く評価してくださっていたとのことでした。「担任の先生からあんなに高い評価をもらえるなんて、君には嫉妬する」とお褒めの言葉をいただいたほどです(笑)。

この賞をいただいたときはじめて、「努力はいつか報われる」と気がつきました。
この結果があったことは、最後の最後に、私に大きな自信を与えてくれました。本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。

もちろん、楽しいこともたくさんありました。


ここまでの話、正直、死にそうな日々を過ごしてきたように見えるかもしれません(実際、死にそうなこともありました(笑))が、楽しいことも、今後の人生につながる貴重な経験もものすごくたくさんありました。

飛行機の操縦体験をさせていただいたこともありましたし、タームホリデー期間中には、You tubeを見ながら餃子を作ったりチーズケーキを作ったり、ホストファミリーとメルボルン旅行したり、大々的に誕生日会を開いてもらったり……。オーストラリアに高校留学したからこそ得られた経験が溢れんばかりにたくさんあります。

タスマニア州にはブラジル人やフランス人、ドイツ人、日本と、さまざまな国から留学生が集っています。
留学生同士で、月に1度程度一緒に遊んだり、パーティーを開いたりすることもありました。彼らとは共に抱える悩みや葛藤などを共有し、互いに支え合う友達になることができたと思います。

留学中、本を読む機会も増えました。
特に「日本」についての本をたくさん読みました。
海外に飛び出してみて初めて「日本」を外から見てみて、オーストラリアの人々は日本人に対して、日本車や日本食、日本のさまざまな文化や習慣に対してとても好意的な印象を持ってくださっていることを知り、自分の母国である日本をもっと知りたいと興味を持つようになったのです。
日本人であることに、誇りを持てるようになったことは、留学に踏み出してよかったと感じることの一つです。

オーストラリアでの高校留学生活

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4.ダイバーシティなオーストラリアでの留学。リスニング力は飛躍的に向上

留学期間中、叔母がタスマニアに遊びに来る機会があり、一緒にタスマニア旅行を楽しみました。
オーストラリアは非常に多国籍な国です。何十、何百というさまざまな国、出身の人々が共に生活しています。英語にもオーストラリアの英語だけではなく、それぞれの出身国のアクセントがあり、耳にする英語も多様性に富んでいます。
叔母は、もともと英語が堪能な人なのですが、オーストラリアでの英語のリスニングには苦労したと言っていました。対して私は、さまざまなアクセントのある英語を聞き取るのに、大きなストレスを感じていません。オーストラリアというダイバーシティな環境で高校留学したことで、リスニング力が飛躍的に向上したという実感を持った瞬間でした。

帰国時は、留学前と違い、航空券など、すべて自分で手配しました。
タスマニアのホバートからメルボルンへ。メルボルンから日本への飛行機フライト時間まで、12時間余裕を持って航空券を購入。その時間を使って、メルボルンを1人旅行しました。
これも、自分自身の成長を感じたエピソードの一つです。

高校留学は、英語力の向上はもちろん、人間力という意味でも大きな成長の機会を与えてくれたと感じています。

5.今英語ができるかどうかなんて問題じゃない。やりたいと思うなら挑戦を!

「留学が楽しかったか?」と聞かれると、答えはYESではありません(笑)。
よく、留学体験談を見ていて目にする、「楽しかったー」「面白かったー」などという言葉では、自分の体験は正直表現できません。どちらかというとしんどかったし、ものすごい辛い瞬間も多々ありました。

イメージとしては、毎日ボクシングしていた感じです(笑)。
ジャブを振っても、ボディブローをうっても、何度もなんども這い上がってくる自分のシャドーと闘っているようなそんな感じです。
ただ、へこたれず、腐らず、丁寧に戦って苦しくても一歩前に踏み出していった結果、苦手だった英語を克服し、一人で海外生活を乗り切り、異国の地で努力賞を勝ち取り、海外を1人旅行できる、本当にたくさんの成功体験を積み重ね、「努力して目標を達成する」という「自信」を手にすることができました。

日本に帰国し、復学するため、英語の試験を受けました。
あれだけ努力してきたのだから、「余裕だろう」と思っていたのですが、細かな文法や、求められている回答を適切に導き出せないなど、日本の受験で求められる「文法力」は、まだまだ継続して勉強していく必要性を突きつけられました。
ただ、その事実は、私をまったくネガティブにしませんでした。
努力していけば、目標には必ずたどりつくし、諦めなければいつか成功するということを今回の高校留学で知ることができたからです。

留学する前に、今、英語が得意だとか苦手だとか、そんなことは留学する上で、関係ありません。そんなことでやりたいことを諦めてしまうのはもったいないと思います。
ただ、高校留学では、楽しいことばかりではなく、辛いこともあるからこそ、両親ではなく、自分で決断し、進んでください。自分が覚悟を決め、自分が留学することを決めさえすれば、絶対にやるし、できるようになります。

私は将来、パイロットになりたいと考えています。
今回、留学に踏み出したのも、「英語」で、自分の人生の選択肢を狭めたくないと考えたことが切っ掛けでした。留学から帰ってきた今、私は次の春から高校3年生を迎えます。パイロットになるという夢に向けて、次の一歩を踏み出すために、次は受験という戦いに挑みます。不安がないと言えばうそになりますが、オーストラリアでの高校留学で培った自信をもとに、次の挑戦も乗り越えていきたいと考えています。

この体験談が、今留学を悩む方にとって、一歩踏み出す勇気に繋がれば嬉しいです。
頑張ってください。私も、自分の夢に向かって頑張ります。

留学体験者:倉片 崇凪様
留学期間:2017年1月から2017年12月
留学先:オーストラリア タスマニア州ホバート
高校:Elizabeth college

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